書籍・雑誌

12/12/2014

21世紀の資本「論」

以前,ブログに書いた掲題書の日本語版がみすずから発刊された。
なんと税込だと6,000円近い。このベストセラーの価格としては,世界最高だろう。
貧乏人は「本も読むな」ということか。(別に,みすずを非難している訳ではないが・・・)


ところで,このみすず版の日本語タイトルが「21世紀の資本論」ではなく「21世紀の資本」となった。
著者のPikettyが,冒頭でマルクスを引いていることからも,本書が「資本論」を意識して書かれていることは疑問の余地がないと思うが,なぜ,敢えて「資本論」の21世紀版という題名を採らなかったのだろう。
一つ思い当たるのは,日本版が英語版からの「孫」訳だということ。(これは,みすずにしてはちょっと酷い。原書の仏語版が出てから,相当な時間が経過しているが,仏→日の翻訳者がいなかったとも思えぬのだが)
すなわち原題が"Le capital au XXI siècle"なのに対し,英語版の題名が"Capital in the Twenty-First Century"であるという点。
「資本論」の原題は"Das Kapital",仏題が"Le Capital"なのに対し,英題は"Capital"で定冠詞が付かないことが常のようである。
英語版からの孫訳だから,資本「論」と資本の区別が付かなかったとも考えられるが,流石にみすずの本だから,それは邪推だろう。


もう一つの推測は,マルクスに人気がないというか,今の若い世代は存在すら知らないかもしれないから,敢えて資本「論」としなかったのかというもの。
英語版の主たるマーケットであるアメリカで,共産主義者や社会主義者は,アルカイダかタリバン並みの扱いで,99%のアメリカ人にとって,マルクスと言えば,Marx Brothersを思い浮かべるだろうから,資本「論」とする意味すらなかったのかも知れない。


日本語版の訳者注を読めば判るだろうから,今度,立ち読みをしてみよう。(英語版より翻訳の精度が上がっている筈のない日本語版に6,000円出す余裕は我が家にはない。)

23/12/2013

モノクロームの表紙の"Car Graphic"

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久しぶりに"Car Graphic"誌を購入した。(最早, 二玄社刊ではない。)
表紙がモノクロームなのは、小林彰太郎の追悼特集だから。
今年,物故者となった先輩の中でも,小林彰太郎と堤清二は,希有な,そして幸せな人生を歩んだ二人だと思う。
二人とも,そこそこの企業の創業者一家に生まれ,結果としてそれに縛られずにある意味好きなことをして生き,皆に惜しまれつつ亡くなった訳で,これを幸せと呼ばずに何が幸せであろう。


若かりし頃は,くそ重たい"Car Graphic"を定期購読していた。("Stereo Sound"誌と"Car Graphic"誌が重量面での双璧で,この二誌は結構読者がかぶっていて,両方定期購読すると書庫の床が抜けると言われていた。)
当時,独身寮のロビーでの話題は,車の話と,入れ替わり立ち替わり職場にやってくる「姐ちゃん」の話が殆どだった。
若い男の子が,次はどんな車を買おうか,ためつすがめつ"Car Graphic"誌を眺めている姿は,資本主義の健全な姿だったと思う。
本当に,さふいふ会社だった。最後にいた20名ほどの職場にはLancia Delta Integrale(世代は異なるが)を所有していた人間が3人いた。
小林彰太郎は,そう言った「カーキチ」(死後かつ放送禁止用語?)の魁であり,日本のみならず世界の自動車ジャーリズムの開拓者だった。


"Car Graphic"誌は往事の半分ほどの重量となり,若い男の子は車に興味がないか,あっても貨物船のコンテナのような不格好な車に食指を伸ばす今,小林彰太郎は,どんな思いで三途の川を渡ったのだろう。ご冥福を祈る。

10/01/2013

青空文庫

我が不明を恥ずべき事ではあるが、年明けの新聞記事で「青空文庫」の存在を知った。
早速、アクセスしてみると、これがとてつもないものであることが判った。とにかくこのサイトでは、
「どぐらまぐら」から、古川緑波の食にまつわるエッセイ、会津八一や折口信夫から漱石の長編小説まで、3回ほどクリックするだけで一万冊を超える「蔵書」をダウンロードすることが可能。(もちろん無料で・・・!)


原則として著作権切れの作品(我が国では著者の死後50年)が掲載されている訳で、古い作品が多いが、逆にこれらの作品は岩波文庫あたりでも品切れになっていて入手困難なケースも多いから助かる。
もちろんKindleでもiPadでもダウンロードが可能。
今日は、早速、これまで断片的にしか読んだことがなかった「遠野物語」を通読した。


それにしても、この青空文庫は日本人の文化度を大きく深化させる"potential"を持つと考える。
都心に通うサラリーマンが、通勤電車の中で永井荷風の日記を斜め読みするもよし。
定年を迎えたサンデー毎日のお父さん・お母さんが斎藤茂吉の歌論を読むも良し。
高校生が源氏物語に一日一帖目を通すも良し。


著作権の失効時期については、国や私のエゴも絡んで議論はあろうが、今日のベストセラーも、やはり何時か古典となるべきが来る訳で、このようなmovementは是非とも更なる進化を遂げて欲しい。
ということで青空文庫の蔵書の"Classic"に一度アクセスすることを強くお勧めする。


明日は、うん十年振りに和辻哲郎でも読んでみようと思う。


10/04/2012

「格安航空会社の企業経営テクニック」

ちょっとした知り合いが掲題の本(それにしても能のないタイトルだなぁ)を上梓したのは新聞広告で知っていたのだが、購入するまでには至らずにいた。(実際、ボクはビジネス書の類を読むことは殆どない。)

ところが著者とボクの共通の元上司(女性)がこの本を贈ってくれたので、早速読んでみた。

結論から言うと、なかなか良く書けた本だった。ピーチ就航時の朝日の署名記事の300倍は的を射ている。

コスト論は、キチンと座席当たりコストを議論しているし、高搭乗率(Load Factor=L/F)を前提としたマーケティング戦略や、従業員の高いEngagementを前提としたオペレーション戦略等を紹介するくだりは、航空業界のずぶの素人さんはもちろんマイレージ修行中の皆さんでも面白く読むことができるだろう。

惜しむらくは、せっかくこの時期に出版するのだから、今後の日本の航空業界展望のような議論で、この本を締めくくって欲しかった。

日本における格安航空会社というのは、今に始まった話ではない。スカイマークやAir Do、毛色は異なるがJEXなど、いずれも20世紀中にLCCを標榜して運航を開始し、今のところsurviveしている訳で、ピーチやJetstar Japanの第2世代が第1世代とコストや路線戦略面でどう異なるのか、といった分析等あったら、なお良かったであろう。

もう一つ、日本の国内線を考える上で考えないといけない新幹線(特に東海道山陽新幹線)との競合と、その将来像についても触れて欲しかった。(JALが潰れる前、ボクはJR東海傘下に入ることが最善の策と考えていた。)

東海道(山陽)新幹線は世界の何処にも存在し得ない"Ultra スーパー交通機関"だ。

ユーロスターと何処が違うのか思われる御仁もいらっしゃるであろうが、あちらは1時間に2本程度の運行頻度なのに対し、新幹線は最大1時間10本以上運行されている。定時性も大違いだ。

国内線格安航空会社は150席強の機材に特化して営業を開始する訳だが、これは新幹線2両分にも満たない計算になる。(仮に、格安航空会社がシャトル便形態で1時間に1便飛ばすとして、供給座席数は東海道新幹線の1.5%にも満たない。)

この圧倒的な物量と「質」を誇る巨人を、果たして日本の格安航空会社は(ライアンエアがアイルランド⇔イングランド間のフェリーを沈没させたように←あくまで比喩ですから、お間違えなく)、「蜂の一刺し」できるだろうか。

東海道新幹線のそこそこFrequent ユーザーとしては、蜂の一刺しで、現在の下方硬直的な東海道新幹線運賃に風穴があくことを期待している。(ボク自身は、安全面での懸念を払拭できないし、快適性の点からも格安航空会社には乗らない。)

ところで「東洋経済」が航空業界を特集しているが、Jetstar Japanの女性社長のコメントが、あまりに稚拙で失笑を禁じ得なかった。(これも立ち読み)本書にもある通り、成功している格安航空会社は、マーケティングや従業員のEngagementの点で経営者に負うところが大きいのだから、同社の広報にあってはその点を肝に銘じておかれることを勧める。

26/02/2012

東京新聞 もはや2,699円ではない。

前にも少し書いたが、2月から朝日を止め、東京新聞に切り替えた。
元来、新聞というものはこちらから止めると言わない限り入り続ける、言わば期限の定めの無い(購読)契約だった筈だが、勧誘絡みのスキャンダルのせいか、いつしか1年毎の定期購読契約になっている。
今回も、民主党政権に対する朝日新聞の煮え切らない論調に嫌気がさしていたところに、契約切れとの連絡があって乗り換えた。(別に鍋やビール券を貰うために新聞をとっている訳ではない。)
もともとは、何やかんや言っても"de facto standard"であった朝日と東京の2紙を購読していたが、NYTからLe Mondeまでネット経由での情報量が増えたことや、通勤時間を新聞の熟読に費やす状況でなくなったことから一紙に減らしていた。
で、結論から述べると、東京新聞、尖っていてかなり面白い。何より、朝刊が薄いのが良い。(日本の新聞は、例えばアメリカの新聞と比べると広告収入比率が有意に低いが、それでも朝日のろくでもない通販の広告を目にしなくとも良いのが精神衛生に良い。)
尖り具合の一例は、光市母子殺人事件である。東京新聞は死刑確定後の「死刑囚」の匿名を貫いているのだ。個人的には、この時点で本名と少年時代の顔写真を曝す必要があるのか疑問ではあるのだが、それはさておき他のマスコミのように「右に倣え」の姿勢でないことが心地よい。(他のマスコミでは、本件につき社内で真摯な議論がなされたのだろうか?)
民主党政治や原発問題についても、立ち位置が明確だ。例えば、山口二郎君の短いコラムも、同君が朝日に寄せる文章よりも切れ味が鋭い。
もともと評判の高い文化面、特に伝統芸能に関する記事の内容が濃いことも、我が家にとっては嬉しい。

26/10/2011

北杜夫 est mort

北杜夫が死んだ。

近年は、本人が「もはや死人同然」と言っていたようだから、近い将来この日が来ることを予想はしていた。それでも子供向けの童話など、ごくごく一部の著作を除いて、彼の本は全て読んで(かつ蔵書して)いるボクにとっては、甚だ寂しいかぎりだ。

最初に読んだ、そして今でも一番好きな北杜夫の著作は「ドクトルマンボウ青春記」だ。この本は、言うまでもなく小説ではなく自叙伝の一部なのだが、恐らく日本文学史上最高のビルドゥングロマンスの一つとなっていると言ってよいだろう。

ドイツ文学史上と言うか、世界の文学史上、最高のビルドゥングロマンスが、北杜夫の愛読書で「青春記」にも登場する「魔の山」であり、その翻訳者が同じく「青春記」に登場する望月市恵であり、「魔の山」がダヴォスを「青春記」は王が頭を望む安曇野を舞台としているのも何かの因果か。

「青春記」の初読は中学生の頃だった。その当時は自分にもこんなに純粋で素敵な疾風怒濤の青春時代が訪れるのかしら、との思いで読んだし、青春時代が終わってからは、透明で前向きだった頃の自分を思い返すために再読した。

小説では初期の「幽霊」「木精」だろう。代表作は「楡家」だろうし、発散されるエネルギー量では「輝ける碧き空の下で」なのだろうが、どうにも軟弱なボクはセンチメンタルな、この2作品に惹かれる。

「幽霊」「木霊」は3部作になる筈だったらしいし、「輝ける・・」も続編の構想があったとのこと(本人談)だが、実現しなかった。ファンとしては心残りだが、一方、茂吉評伝全4巻を完成させて「不祥の息子」としてのコンプレックスを昇華させることができた北杜夫本人としては心残りはなかろう。

今夜は「魔の山」の最後でハンスが謳う「菩提樹」をトーマスクァストフで聴いて北杜夫を偲ぼう。初めてクァストフを見たのが松本のサイトウキネンだったことも何かの縁だろうから。